12月は椅子を買って電車にのるという荒技もB'zがゆるしてくれます
お久しぶりです私です。
12月に入ったのに、体感は9月下旬並みの温度ですね。
本日も仕事からの人生哲学を述べましょうか。
嫌いじゃないというドーピング
この場所も、環境も。仕事内容も。
「これでいいか、こんなもんなのかもしれない。」
といつか思える日がくるかもしれない。
その日をなんとなく待ちながら、日々生きて行くことが
普通に生きることとして当たり前なのかもしれない。
嫌いじゃない。好きでもないけど。
テンプレのようにみんな本当に言う
「成功できるのなんて一握り」
「好きに生きていけるなんてありえない」
「仕事なんか辛くて当たり前」
「仕事なんて楽しいものじゃない」
本当に言う人いてるんだ…、そして私本当に言われたんだ…
と軽く衝撃を受けた。
これを言う人が抱えている、背負っている生活や事情ももちろんあるでしょう。
バカにしてるわけではない。
むしろね、この仕事についた時から去年まで、いろいろ体に不具合起こしながらでも
文句言いながらでも、私は楽しいと感じながら仕事してきたからね。
その時点で、テンプレ言う人たちとズレるんだよ。
なんで楽しんだらダメなんだ?なんで辛くならないとダメなんだ?
画一化され、少しもはみ出せない、はみ出せば(もちろんその世界、会社の中だけだけど)異質扱い。あなた一人のためにみんなが迷惑している。とそれこそ休みの日も関係なく毎日毎日言われるんだよな。
こう思えば、楽しいんじゃないか。こうすれば、みんな楽しく仕事できんじゃないか。
てのはなくて、自分が思う理想(それは仕事は楽しくない・辛いも含め)を形にすることが大切な社会。
いや、そもそも理想なんてものもなさそうで、会社員として会社が言うことを守りこなし、皆様それぞれ自分の色で仕事をしていく。
とすれば、別に正解不正解ではなくて合う合わないの問題にたどり着くんだよな。
人間だもの、バイオリズムとしてうまく行かないことが長い間続くこともありますわな。
お互いを噛み合せようと、話し合いをしたり、すり合わせをしたりするけれど、完璧にはなれないし、四苦八苦してるところに指摘を畳み掛け、あぁ私ダメなんだ。と思わせる教育の仕方なんだろうな。これで少しの褒めを混ぜ合わせることで洗脳教育になっていくんだろうな。
と、なんだか愚痴っぽくなりましたな。
立ち止まるの万歳
ということで、合わないな…と思い続けていたところに、まさかの人間関係ねじ込んできたので、メンタルに支障が出てきました。
人生の中で、自分の人生を生きるため立ち止まる機会を得るのは幸福なこと。
嫌な人たちが歩く訳じゃない、己の人生だ。
テンプレワードも、いろんなハラスメントも、あなたや私を奪えやしない。
一生続く訳じゃない。だが待っていたところで迎えが来るわけでもない
行きたい場所へ行くために、立ち止まりまた歩き出しますね。
それでは皆さまにおかれましても
素敵な12月でありますように。
集合はまたここで。
ありがとうございました